高度情報処理技術者を専門外&業務未経験者が目指した結果

2019年勉強開始、独学です。過去の家づくりや家電記事もおまけに残してあります。

やる気のある無能だった自分

ある日、前触れ無く今までしていた仕事を取り上げられ、大幅な業務変更を命じられました。
(私の仕事についてはこちらを、取り上げられた当時のことはこちらを参照)

 

30歳、2019年1月の出来事でした。

 

新たに命じられた仕事はメンタルを病んでしまった

先輩Aさん(6歳年上、業務と同じ物理分野で博士号)

の代わりでしたが、

畑違いの私(材料分野、修士卒)

には到底手に負えない内容だったので、業務変更直後から鉄人で有名な

先輩Bさん(12歳年上、Aさんと同じく博士号)

の指揮の下で働くことになりました。

 

社内ニートになったわけではないので忙しさはありましたが、

まるでわからない分野・・・

まるでわからない実験内容・・・

命じられたままに手を動かすだけの日々・・・

急に役立たずになったような感覚が仕事中ずっと付きまとい、嫌でも考えてしまいます。

 

(自分の新しい仕事、研究開発じゃなくて只の作業じゃないか)


(肉体的には疲れるけど中学生でも出来る簡単な仕事だ)

 

(何故自分が選ばれたんだ?)

 

 

・・・・・・・・・

 

 

最初の2週間は仕事を丸投げしたAさんへの怒りや、突然の業務変更の混乱で気付かないで済みました。


しかし冷静になってくると、気付きたくないことに気付いてしまうのです。

 

 

「これは体の良い厄介払いだったんじゃないか?」

 

「私は材料研究チームから追い出されたんじゃないか?」

 

 

この気持ちは徐々に確信めいたものに変わっていきました。

 

 

「そうか、自分は不要な人材だったんだな・・・」

 

 

 

 

・・・・・・・・・

 

 

 

平日の夜、子どもたちを寝かし付けた後、一人家を出ました。

 

 

初めて行く地元の小さな居酒屋で、焦点の合わない目でメニュー表を見つめながら黙々と酒を飲み、時折ポロポロと涙を流しながらも閉店まで居座る私は、さぞ厄介な客だったことでしょう。

 

こんな情けない飲み方をしたのは、親友が自殺したとき以来。人生で2回目でした。

 

 

 

 

 

しかし酒は良いものです。


気持ちを振り切ってくれます。

 

 

仕事を辞めてしまおうかというくらい盛大に落ち込んだ後、反転して「もうどうでもいいや!」という気持ちになることができました。

 

もちろん、アルコールが抜けた翌朝には到底どうでもいい気持ちにはなれないわけですが・・・笑


それでも、自分を見つめ直す心の余裕が出来ました。

 

 

それから一ヶ月、自分に追い出される原因があったという前提に立って、今までの自分を振り返ってみました。

 

見えてきたのは、とてもとても視野の狭い自分でした。

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

私の古巣である材料開発チームは全部で10名ちょっとで、

所属部署におけるメインテーマ(物理系)ではありませんでしたが、

サブテーマとしては最大の人数&予算を持つチームでした。

 

 

特徴として、50代4人、40代0人、30代1人(30歳の私)、残りは全員20代という極端な年齢構成がありました。

 

50代の内2人は管理職で実験の具体的な内容には一切関わらない立場だったので、実働部隊は50代2人+若手というもっと極端な状況にありました。

 

若手は院卒から高卒まで様々です。

 

必然的に、私や2つ年下の院卒の後輩はかなり主導的な立場を求められ、単独の研究テーマを持ち、更に若いメンバーを指導しながら業務にあたっていました。

 

 

そのような状況下で、私は国際学会で表彰されたり、単独テーマが所属部署を越えて当期の研究所全体の代表成果として対外的に報告されたりと、チーム内では目立って成果を上げていたほうだったと思います。


今思えば勘違いも甚だしいのですが、私はこれらの成果を私個人のものだと思っていました。

 

 

そして問題がもうひとつありました。

 

これらの対外的に多少なりと評価された仕事にかけた時間は業務時間の内ほんの少しであり、私は大半の時間を無価値な仕事に使っていたのです(後述)。

 

上司は「もっと成果を出せ」と思っていたかもしれません。

 


とにかく当時の私はそんなことに気付いておらず、自分が価値のある人材だと信じ込んでいました。

 

 

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私は仕事の調子が良いとき、いつも入社したときの取締役からの訓示を思い出していました。

 

「常に今より2つ上の立場だと思って行動せよ。

 

新人は当然平社員からスタートするが、最初から自分が現場の責任者だと思え。

 

これから君たちが配属される部署の管理職は、自分が会社の命運を握る取締役だという意識で働いている。

 

当然私たち取締役は自分たちが社長を越え、この地域の代表者として、この街を誰もが憧れる素晴らしい場所にすることが使命だと思っている。

 

そして社長はこの世界を、会長はこの宇宙を良くするために働いている」

 

 

 

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「自分も単独テーマで成果が出たし、これからはチーム内の他テーマについても積極的に関わっていこう」

 

わたしは元から他テーマだろうと他分野だろうとミーティングで積極的に意見を言うタイプでしたが、このときから他チームの具体的な仕事の進め方、作業手順の一つ一つに対しても口を出すようになりました。

 


「このやり方では再現性が悪過ぎる」


「数値的な目標が曖昧過ぎる」


「実験計画がルーズ過ぎる」

 


私の思慮を欠いた発言は留まるところを知らず、50代の現場リーダーが主導するテーマでも構わず否定的な言葉を口にして、度々打ち合わせが口論のような状態に発展していました。

 

私の最も悪かったところは、現場リーダーが直接指導していた若手たちと積極的にコミュニケーションをとって先に味方につけ、実質的にいくつかのテーマの主導権を掌握したことです。

 

これにより、私vs現場リーダーから、若手vs現場リーダーに戦火を拡大してしまいました。

 

 


私は本気で良かれと思って発言・行動していたので、現場リーダーの更に上の上司に度々直談判していました。

 


「現場リーダーは偉そうに指示を出しているが、一切手を動かさずネットサーフィンしているだけじゃないか」

 

「現場リーダーはこれまでに何か一つでも成果を出したのか」

 

「現場リーダーは自分の考えを若手に一切話さない。命令されているだけでは若手のモチベーションは上がらない」

 


上司は「君の意見はわかりました」「対応を考えるので時間をください」としか言わず、実際に動くことは一度も無かったので、私は態度をますます激化させていきました。

 


他にも、

「普段の会議は上司へのただの報告会になってしまっていて若手にとって有益な情報は得られない」

 

『若手研究会』を発足し、若手だけで集まって現状の問題点について現場レベルで話し合い、具体的な解決案を導き出す場を作りました。
(もちろん管理職には許可を取って開催していました)

 

 

・・・というと聞こえは良いですが、実際は材料研究チームの全てのテーマに対して、現場リーダーのいないところで私がアイディアや現状の問題点の指摘をして、若手とのコミュニケーションを密にして実効支配を拡げていっただけでした。

 

 

私が実効支配を進めていくにつれ、現場リーダーからの指示に対する若手のレスポンスが悪くなりますから、すぐに気付いたことでしょう。

 

若手研究会と同じ目的にも関わらず現場リーダーや管理職が同席する会議が正式に追加され、若手研究会は僅か3ヶ月で幕を閉じました。

 

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こうして列挙してみると、私がいかに厄介な存在だったかわかってしまうことでしょう。

 

ここまでやっても、私は本気で「チームの将来、会社の将来のためになる」と信じていました。


「やる気がある無能」ほど厄介なものはありませんね。

 

 


上司は私に対して、「若手のリーダーとして、年の離れた現場リーダーと若手の橋渡しをして欲しい」と思っていたことでしょう。


私の行動と結果は正に真逆でした。

 

 

 

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徐々に、私が指摘した問題点や実験提案に対して、「じゃあ君がやってよ」と言われることが多くなりました。

 

そして私はこれらを全て引き受けていました。

 

 

出世欲も人一倍強かったので、こういった「ヘルプ業務」を積極的にこなすことが人事評価に繋がると思っていたからです。

 

新しい分野の新しい知識を覚えられるし、それが自分にしかできないことになるから、自身の価値が更に増すだろうというモチベーションもありました。

 


実際には自身の従来の専門分野での業務の優先順位を下げて、専門外の自分でも何とか対応できる業務の割合を増やしたことで、自分の価値を下げていることには全く気付いていませんでした。

 


これらのヘルプ業務の比率は日に日に高くなっていき、2018年の後半には単独テーマよりもヘルプ業務の割合のほうが圧倒的に高くなっていました。

 

 

つまり、価値の低い仕事(Bullshit Jobs)が私の業務のメインになっていたのです。

 

私はこうして時間を浪費してしまったこと、今はただただ後悔しています。

 

 

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そして2018年11月、ヘルプ業務で手一杯になった上、直前の役職登用に不満があった私は上長に面談を申し出ました。

 

 

「皆が出来ないというからヘルプ業務を率先して引き受けていたが、もう限界だ」

↑自分が率先して引き受けたこと


 
「他人の尻拭いばかりしていて、自分の単独テーマが全然進まない」

↑自分が率先して・・・

 

「何故雑務もヘルプ業務も積極的にこなし、後輩の面倒も見ている人(つまるところ将来の自分を意識した発言)ではなく、雑務は全て断り、他人の協力は一切せず、自分の成果だけにこだわるCさんが昇進するのか」

Cさんと私は年齢が20歳程離れていて人生のステージが全く異なるため、自分がCさんの昇進に意見するのは意味不明

 

 

上司としては役職登用にまで意見する若手に手を焼いたことと思います。

 

しかし当時の私は、

「自身の成果にだけ貪欲で若手からはかなり嫌われていたCさんが、これからは自分たちの新しい上司として偉そうに命令してくるなんておかしい」

と思っていました。

 

 

上司の対応は相変わらず、「君の意見はわかりました」「対応を考えるので時間をください」の一点張りでした。

 

上司は立場上、(パワハラになってしまうので)私を無碍に扱うことは出来ませんからね。

 

それでも、「コイツ早くなんとかしないと・・・」と思っていたことでしょう。

 

 

 

 

そして2018年12月末、私がついに弱点を晒してしまいます。

 

上司命令で行っていた一部の材料研究業務の引継ぎに完全に失敗したのです

 

ここからの展開はプロフィール材料研究をクビになった直後(まだ自分が反省していなかった頃)の記事をご参照ください。

 

こうして今、私は肩身の狭い思いをしながら命令通り手を動かすだけの作業員として物理研究の現場で働いています。

 

それでも、仕事をもらえるだけでも有難いと思わなくてはなりません。

 

 

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結論として、私が研究テーマと専門性を取り上げられたのは

 

原因その1、自分を過大評価していた

 

原因その2、立場を弁えずに行動・発言していた

 

原因その3、上司が私に求める役割を理解していなかった

 

原因その4、価値のない仕事をしていた

 

ことによるものだと思っています。

 

 

私の醜態を反面教師として、皆さんのこれからに少しでも良い影響があることを願っています。

 

 

 

 

・・・もちろん私も、このまま腐るつもりはありません。

 

高度情報技術者という新しい武器を携えて、部署にとって欠かせない人材になってやります!